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韓国好き?

韓国好き?

「韓国好きですか?」と問われたら、
韓国語教室を経営していながら、申し訳ないのだが、正直、
「はい、もちろん好きです。大好きです。」とは、答えられない自分がいる。

「じゃあ、嫌いなんですか?」と言われたら、
けして、そういうわけでもない。

1985年ソウルオリンピックの前あたりは、確かに私は、韓国が大好きだった。当時は、懐かしい故郷っぽい感覚を持っていた。その後、縁あって韓国人と結婚して、韓国語教室を開講したり、韓国に住んで仕事や子育てしみたりして、深く関わるごとに、残念ながら、だんだん嫌いになってしまった。一言でいえば、なんか、その全てのざっくりさに嫌気がさしたのだ。

韓国の何について好き?を感じ、何について嫌い?を感じるんだろうか?
文化? 食事? 人? 音楽? 歴史? 芸能? 習慣? 考え方?

カナダラ韓国語教室を開講して、もう26年目に入ってしまった今、いろんな経験を経て、私は、「韓国を好きだな~♡」という感情と「だから、嫌なのよ!」という感情が、よく、行ったり来たりする。

 教室のスタッフは、私以外の5人すべてが韓国人講師である。
教室運営、日常業務、細かいところで、共有することが極めて難しい。26年もやっていていまだにコンセンサスが取れない。日本の常識がすんなりとは通らないことが度々あるのだ。主に、当スクールは「サービス業である」ことの理解が難しいらしい。韓国では先生が結構、権威的にふるまう。それが、ふさわしくないということが感覚的に捉えにくい傾向にあるようだ。

「韓日融和」という経営理念を掲げているのも、その辺の気持ちから沸いたものだ。

「融和」とは、違う者同士が、その違いを持ったまま、お互いを受け入れるという意味だ。
「融合」とは違う。因みに「融合」とは、ちがうもの同士が交じり合って 第三の別のものが生まれることをいう。
だから、韓国人は、韓国人のまま、日本人は日本人のまま、一回り大きな心で、互いを受け入れるということが「韓日融和」なのだ。
なかなか、至難の業だ。
違和感満載の韓国人との融和、公私ともに永久課題かも。

★ご受講生層の移り変わりから見る「韓国好き」
1996年に教室を開講したころのご受講生は、歴史に深い関心を寄せる大人の男性が多かった。どちらかといえば、マニアックな感じ。授業中に、ご受講生が日韓の歴史を深く熱く語りだす場面もよくあった。韓国人の男性講師とは結構、口論にもなった。ご受講生は、韓国のことを悪く言いながらも、言葉を学んだり歴史を研究しているのだから、ほんとは、韓国のことが好きで好きでたまらなかったのだ。
2004年ころの第一次韓流、ヨン様ブーム。一時は、韓流スターに目が♡なご婦人のご受講生で教室が溢れかえっていた。どちらかといえば、今まで良妻賢母に徹してこられてような熟年の女性たちが、青春を取り返さんとばかりに、本当に恋をしていた。ちょっと前までは、「韓国は、男性が遊びに行くところ」そんなイメージだったにも関わらず、この時期は、大人の日本女性が、夫を家庭を顧みず、ライブやドラマのロケ地を探訪するなどのツアーが大流行。韓国好きどころでは収まらない。韓国に熱愛状態だった。
それを経て、今度は、日本の若い女性たちがK-POPに心奪われるようなことになろうとは・・・
最近は、小学生が、twiceに熱狂している。
それに応じて、当教室にも、小学生のクラスがあり、韓国人日本人夫婦の子どものための幼児クラスもできた。

ご受講生の様子を見ている限り、みんな、ずっと前から韓国が大好きなんだ。平和でほほえましい。

メディアの報道とは裏腹に、私には、日本人全体的に、実は、結構、韓国を好きなんだと感じられる。韓国人も、大半が、日本に対して、悪い感情は持っていないんではないだろうかと思うのである。
なぜなら、実際に、公私ともに韓国と付き合っている私は、報道されているような日本嫌いの韓国人に遭遇したことが、、まだ、ないからだ。

★私の個人的感情による韓国好き嫌いについて
そもそも、韓国語教室開講のきっかけは、韓国人と結婚した自分が、韓国語を勉強したかったからだ。当時、教える人も、習いたい人もいない中、希少な韓国人留学生を見つけてきて、自宅のお茶の間教室として始めたのだった。

1994年ごろは、韓国人と結婚する日本人女性は珍しく、福岡の韓国領事官に婚姻届けを出しに行ったところ、二階の総領事室にまで呼ばれて、「あなた、本当にこの人と結婚するんですか?」と確認されたほどだった。
今更、そんなこと聞かれたところで、日本側の婚姻届けは、すでに中央区役所で受理されているわけだし、「何か問題でも♡♡♡?」
文字通り ラブラブ中の新婚二人を、あきれたようにご覧になる総領事さんの様子を、今でもはっきり思い出すことができる。
私は、韓国が好きというより、好きになった人が、たまたま韓国人だったということで、彼の育ち、背景にある韓国文化を、彼というフィルターを通して、好きになっていったんだと思う。

 1999年ころ、娘が4~5歳になり、韓国に住んでみた。韓国の現実に身を置いたこのころから、「韓国が好き」とは言えなくなっていったような気がする。
韓国の夫の実家に居候させてもらい、私は、日本語教師として、釜山、西面の学院をいくつか掛け持ちしていた。ちょうど日本語ブームで、日本が好きな人や、日本と仕事をしようとする人たちなどが、毎朝6時から日本語塾に通って必死に習得していた。
あわただしい生活だったが、職場でも、街でも、子どもの幼稚園の保護も先生も、みんな友好的で、とても親切だった。日本嫌いの韓国人に出会うことはなかった。
 子育てはしやすい感じだった。公共の乗り物などで、子どもがぐずって泣いたとしても、日本だったら、気を使って目的地に着く前に下車したりもしたが、韓国であれば、同乗者の他人であるおばさん、おじさんがあやしてくれたりもした。
ただ、もう少し子どもが成長してくると学歴第一主義の価値観に襲われる。職業に対する差別意識もかなり強い。この辺から、私には、受け入れがたくなったのだ。
また、日常の決まり事、約束事が結構ルーズなことを 物を丁寧に扱わないこと、きちんとしようとしたら、「日本人は細かい=小さい」 などと評価されることもあった。

★帰国後
西鉄バスに乗るためにバス停でバスに走り寄ってい自分、タクシーを止めるために車道におりて、オーバーに乗りますアピールをしている自分、すっかり、韓国人の振る舞いになっていた。自分の気持ち、意見、感情を、遠慮なく表現することも、あまり日本人には見られない姿だった。韓国人に囲まれる環境で生きていた私は、帰国して20年にもなるが、今でも、もしかしたら、素朴な日本人としての感覚が、遠ざかっているのかもしれないと思うことがよくある。これでも、「控えめに控えめに」と自分に言い聞かせているのだが。

まあ、色々あったけど、たぶん、また、色々あるだろうけど、とにかく、
「日本人でもいい、韓国人でもいい、どこの国の人でもいい、目の前の自分とは違うその人を、好きになって、付き合える大きな愛を持った人になりたい」と思う。

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